私とカメラの徒然記
なんとなく美しい、珍しい、変わってるなあと感じた自然界の素晴らしさをカメラにまかせ、人間社会の現象で感ずることがあれば、文字にしてみようと思う。
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蒸気機関車の不思議
このような駅は実在しません。しかしレトロで旅の気分を感じさせてくれるではありませんか。
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カメラが曰く「また懐古趣向が首をもたげたの?おれこんなの撮りたくないよ。」
仕方なく私「それじゃ本命にいくか。機械同士頼んだぜ。」

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というわけで、公園の西口近く、鉄柵にに守られ鎮座ましますC57であります。長年、雨露にさらされ塗料がぼろぼろに剥がれ、いたるところ錆が吹き出て放置同然の状態だったものを、昨年突然、その訳はともかくとして大枚の予算をかけて補修された機関車なのです。
カメラに私「蒸気機関車を撮ったから、これでお前の顔がたったろう。」
カメラ曰く「横から撮った写真は、まあまだがね、正面からのは青みがかっているよ。あんた腕悪いね!」

C57がどんな蒸気機関車でどこを走っていたかなどは、あとの機会に譲るとして、どうしても解せないことが2つあるのです。
1つは、この巨大なものをトレーラーで運んできたそうですが、どうしてここに入れられたかということです。一時期某漫才コンビが「地下鉄にどうして車両入れたのか考えて夜も寝られない。」というのがありましたが、ちょっとそれとは違うのです。樹木が周りにはあるし入り口は狭く入れる余地がないからです。
2つ目は、ウイークデイのある日孫に聞かれて困ったのですが、日曜祭日にしか鉄柵の中に入って運転席を実感できないのです。大人にだったら予算か人員からと何とかこたえるのですが、幼稚園の子供には通じません。仕方なく「お父さんお母さんが休みのときしか子供をつれて来れないからだよ。」と答えておいたのだが、納得したかどうか?
膨大な税金を注入したのなら活かす方法を考えないと子供に笑われるよ。


目的の戦い・・・・・
この世の中、自由を満喫すればするほど、守る側と攻める側が熾烈な競い合いをし始めるのではないかと思うようになったのです。同じ目的を持って経営される企業内部でさえ、部署によってその目的とすることが異なりその方向が違ってくることがあります。
ましてや些細な個人の行動レベルのことになりますと、年齢の差あるいは趣味の違いによって行動パターンが異なり、喧嘩までに発展しなくとも、そんなことやめてくれないかなあ、と思うようなことに度々出会うのです。この写真もそんなひとつです。

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これは某公園のソメイヨシノの林です。
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子供に絵を頼んでまで懸命に桜の老木を守ろうとしていることはよくわかります。だが、この林の中には、備え付けのテーブルもあればベンチも散在するのです。自由に林の中に入れるようになっている情況の中で、桜の根が傷むので木の周りを踏むなという立場の人たちの訴えが、写真のように1本1本に巻きつけられているのです。自然の美観を損ねるし、注意書きを読もうと木に近寄れば、それこそ、目的とは逆の結果をまねくだけです。花見シーズンの花見客の反響や如何。ましてや大きな災害が起きたらこの訴えは、胡散霧消の憂き目に会いそうです。
カメラ曰く「ここはオレの出る幕じゃないよ」

真冬の旭川動物園
寝酒を飲んでも寝れないので、NHKの深夜放送を聴いていた。旭川動物園の園長に訊く動物生命に関する内容だった。

私は、ラジオを聴きながら眠る習慣になっているので、睡眠薬のつもりで聴いていたのだが、さにあらず、かえって眠れなくなったのである。

北海道の旭川といえば、冬はマイナス15度にも20度にもなる土地である。動物園は閉園しているものと思っていたら、冬場開園することがこの園長の願望だったそうで、いつから開園し始めたかは聞き漏らしたが、この気温の中、今は開園しているのだそうだ。

キリンや象が、永い時間は外に出ないが、この極寒の季節に体から湯気を出して歩きまわるそうだ。正確には、雪が凍っているので、すべるように進むのだそうだ。他にも、交尾の話もされてたように思うが、話のポイントを要約すると次のようなことだったと思う。

50億年前にただひとつの生命が誕生してから、今日まで進化を続けてきた動植物が、その生命を後世につなげようと懸命に努力する姿を見ていると、今の人間社会が疎んじられてしかたがない。幼児時代に動物の本能に触れ合う機会をいかに多く作ってあげるかが重要なのではないか。人間も他の動物と同じく生存する他の動植物の生命を犠牲にして永らえてきた。その命をいただくことから食事時「いただきます」の言葉が派生してきているように自然界とのつながりを肌で考えさせることが教育問題の一課題かも知れないと。





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